ところが、それから2年ほど経ったある日───。
旅モノ企画の話をいただいたんですが、ディレクターが「稲川さん、今回は群馬の温泉なんですけど、以前群馬に行かれた時に熊と温泉に入ったらしいですねえ。どーですか、思い出の熊さんとまた一緒に温泉に入りましょうか?」って言うんですよ。私は一度経験ずみだから「ああ、い〜んじゃない?」ってOKしちゃったんです・・・・・。これが誤算だったんですよね。私、熊が成長していることをすっかり忘れていたんですよ。
で、のこのこ行ったんだなぁ〜、群馬の温泉に(笑)。そこの露天風呂は片側がずーっと渓流になっていて、緑が覆い被さるような渓谷なんですよ。木漏れ日が降りそそぐ中を、自然の風が川からすーっと流れてきてね、この風の気持ちのいいこと! 「いやぁ〜最高だなぁ、こりゃいいや」と思っていた矢先、向こうから黒いでかい塊が、ものすごい勢いで走ってくるんですよ。重たそうな鎖をひきずったまま、ガシャン、ガシャン、ガシャンって。
そう、2年前のあの小熊です。太郎くんに違いありません。でも、ムチャクチャでかくなってるの!
驚いちゃったなぁ〜もう。
すると旅館の番頭のじいさんが「すみませ〜ん、捕まえてくださ〜い」って遠くから叫んでて。
その日は、たまたま社長さんが外出してしまったため、番頭さんが熊担当になったらしいんだけど、慣れていないから、恐くてつい鎖を離してしまったらしいのね。でも温泉に入っている人たちは、みなすっぽんぽんで無防備なわけでしょ? 捕まえられるはずもなく「助けて〜!」「ギャ〜ッ!」って、まさに修羅場ですよ。川に飛び込む人もいれば、顔にシャボンをつけたまま、すっぽんぽんで土手を駆け上がるオッサンもいて、もうおかしいやら、こわいやら(笑)。
で、その番頭のじいさんがようやく鎖を持ち直し、「稲川さん、この鎖お願いしますね」って・・・。
考えてもみてください。山ん中で熊と一対一になって、生きた心地しますか? しかも私、腰にタオル1枚巻いただけの裸なんですよ。
でもね、人間ってのは不思議なもんで、やらなきゃいけないって思うと、できちゃうものですね。
毅然として悠々と熊の鎖を持って温泉に入ったわけです。すると、私の気合いが太郎にも伝わったのか、おとなしく一緒に温泉に入るんですよ、これが。それで前回と同じように、番頭のじいさんが餌となる茶まんじゅうを投げてくれたんですが、じいさんのヤツ、茶まんじゅうのビニールをむかずに投げてくるんですよ。こっちは熊の目の前でビニールをむかなきゃいけないし、熊は待っていられないから、「グワッ、グワッ」ってキバをむいて脅してくるし、ディレクターやスタッフは熊の様子にビビっちゃって動けないし。しかも番頭のじいさん、コントロールが悪くて、茶まんじゅうがどんどんお湯の中に落ちていくんですよ。すると、熊はもったいないと思うのか「ウーッ」って唸り声をあげて怒るしね。私がさっとすくうと、熊は手から直にガブリと食べるんですよ。もう、恐いのなんのって。
「うわ〜っ!」って発狂しそうでしたよ。
とにかく、じいさんの投げる茶まんじゅうを、熊が怒らないうちに湯の中からすくっては与えるという、必死の茶まんじゅう餌付けを行っているうちに、ようやく絵がとれましてね。見てみると、渓谷の木々の間から夕日がすーっと差し込んで、お湯がオレンジ色に染まる中、木漏れ日に照らされた私と太郎の後ろ姿が映っていました。ちょうど大きな息子と痩せたオヤジの親子連れが、温泉でしみじみと語らっているように見えるんですよ!
実際は、熊がグワッグワッと唸りながら、茶まんじゅうを喰ってるだけなんですけどね。
ディレクターとスタッフは「いい絵がとれた! 感動的だ!!」と大喜びでした。
・・・・冗談じゃないですよぉ。こっちは死ぬかと思うほど、恐かったんだからぁ〜。
話し/稲川淳二
イラスト/花岡道子