 |
「あの、どういう意味ですか? 笹本さん、誤解してます。全然違うんです。確かに誤解を招くような軽率な行動だったとは思いますけど……その点は反省してますけど、稲田さんは、私に『こころの湯』を見せるためにホテルに誘ったんです。私達、映画観ただけです。映画観て、泣いたりして……そもそもなんにもしてませんし、レイプなんてとんでもないです!」
「あのね、北野さん、大人の話をしようよ。あなたも稲田さんも自立した、っていうか、はっきり言っていい年なんだから、実際に何かあったかなかったかなんて、僕は興味ないのね」
笹本クン、これは、仕返しなの?
「考えて欲しいは、うちの会社と三枝さんの会社、下請けと発注先の関係。あと、クライアントがこの事件をどう思うかっていう、そこね」
「だって……」
「三枝さんが、何を思ってそんなこと言い出したのか、実際何が起こったのか僕だってわからない。でも、彼女がそう言ってるってことは、彼女にとっての事実はそうだったってことなんだよね。彼女がそうしたいってことは、代理店がそうしたいってことな訳。わかる?」
わかりませんって、答えてやりたかった。でも、黙ってた。
「……ま、わかんない、か。あのね、今度の事件、ウチの責任ちょっとでも減らしとかないと、今後の仕事に差し支える訳。外注、ハズレクジ引いちゃいましたけど、ウチも被害者ですっていう風に持ってかないと」
「それじゃ、稲田さんの立場はどうなるんですか?」
「映画見せるとかいって、片っ端から女ホテルに連れ込むような奴に、立場もへったくれもあるか」
怒ってる。とにかく笹本クンは怒ってる。そして、ビジネスもプライベートもなく、自分を脅かすすべてのものへの怒りを、おっさんひとりに集中砲火している。
「あんなおやじ、どうなったっていいだろ? 北野さんもさ、自分の将来のこととか、考えた方がいんじゃないの? ウチ辞めたらさ、もう、後はないと思った方がいいよ。いや、キミと僕の関係だから、正直に言うんだけどさ」 |
警察での事情聴取は、笹本クンとの話し合いにもまして、最悪の時間だった。内容が内容だけに警察も気を使ったのか、話を聴くのは婦警さん。でも、女性だから優しいかと言うと、決してそんな単純な話ではなく、セクハラ以外の、別のいやーな空気がそこには流れていた。
笹本クンになんと言われようと、もちろん、私は嘘なんかつくつもりはなかった。
映画に誘われたこと、文化村の前で待ち合わせたこと、おっさんがビデオを持ってきたこと、近くのラブホテルに入ったこと、映画を観て、そして、そのまま出たこと。
何も隠さず、おっさんだけ風呂に入ったことまで、すべてを告げた。ぜーんぶ事実。でも、彼女が全く信じていないのは、明白だった。
「北野さんと稲田容疑者がホテルに行ったのは、会った翌日だった訳ですね」抑揚のない口調で確認、妙にゆっくりと。レイプではないが、この女、関係を持った男を擁護してるなって、平静な顔の奥で決めつけている、その目。
事情聴取というものは、三回同じ話をするものだと初めて知った。ただ聴くだけの相手に話す、調書を取るために話す、調書の内容確認のために話す。三度目には、本当にあったことなのかどうか、もうわからなくなってしまう。覚えた台本を読んでいるような感覚。いや、無声映画か。動きだけ、ただなぞっているような不思議な手触り。ああ、私、話してないや、大事なこと。おっさんが、冗談みたいに何度も結婚を口にしたこと。そして、私の頭に手をのせて、「この娘に、もっと幸せがおりてきますように」って祈ったこと。あれは、夢だったんだろうか?
|
|
警察を出たものの、私はどこへ行くべきか途方に暮れていた。会社に帰る気にはなれない。とりあえず、近くの小さな公園のベンチに腰を降ろす。砂場で遊ぶ子供たち、そして、絵に描いたように井戸端会議をする若いママ群。おっさんに会いたかった。でも、まだ勾留されていてどうにもならない。三枝まゆえは、とっくに帰宅したというが……電話するか。会って話したい。笹本クン、止めるかも。いや、絶対止める。知るか。
|
仕事で聞いていた携帯に電話をかける。コール八回。出ないか。九回。十回。留守電なら切るか。十一回。子供がひとり、ころんで泣き出した。もう少しだけ。十二回。ママうちのひとりが、子供に走り寄る。十三……あっ。
「もしもし?」
「……」
「三枝さん? 北野です」
「……ああ」
いつものまゆえと違う、低い声がかすかに聴こえた。
「あの、よかったら、会って、話したいんですけど……」
「何を?」
「何をって……」
「北野さんに話すことなんか、ないわよ」
今にも切られる勢いだった。
「待ってください。レイプってなんですか? 稲田さん、そんな人じゃありません。なんで、そんな嘘つくんですか?」
最初は、笑い声だとわからなかった。でも、その、長くひきつった笑いが治まると、まゆえは、また、まゆえらしくない低い声で言った。
「あなた、稲田の何を知ってるっていうの? アイツのことだから、どうせ、結婚しようとか言いまくって、それでもって、映画観るだけとか調子のいいこと言って連れ込んだんでしょ? いっつも、そう……欲しかったら、あげるわよ、あんなヤツ」
そして、電話は切れた。 |
|
『サイコ』の有名過ぎるシャワーシーンがよみがえる。ジャネット・リーが殺される瞬間の映像。殺人という展開の驚きより、ああ、この人、この映画のヒロインじゃなかったんだっていうショック。そっか、ヒロインは私じゃなかったんだ。おっさん、まゆえとつき合ってたんだ。みんな、痴話げんかに巻き込まれただけだったんだ。あんな顔して、やるなぁ。自分の娘みたいな若い女とつき合ってるのに、まだ、他の女に手を出す余裕があったんだ。感心してる場合じゃないけど。なんで、私、あんなにおっさんのこと信じられたんだろ? 魔法、またひとつ溶けちゃった。ああ、今、鏡を見たら、私、百歳の老婆になってるんだ、きっと。
握りしめていた携帯が、ブルブルっと震えた。まゆえ? 違う。会社、でもない。なんと、高野和彦。あり得ない、和ちゃんから電話してくるなんて。
「どしたの?」
「すぐ、病院来れる?」
私のことばと、和ちゃんのことばがぶつかった。
「えっ?」
「おやじ、危篤。ダメかも」
「わかった、すぐ行く」
ヒロインどころか、自分がどの映画に出てるかさえ、わかってなかったのかもしれない。おっさんのことも、まゆえのことも、会社のことも、笹本クンのことも、ぜーんぶ、ふっ飛んだ。とにかく、病院に向かわなくっちゃ。おとーさん、だめです、まだ、早いです。死んじゃうには、早過ぎます。 |
|
 |